【画像】アメリカの黒歴史 “奴隷船” の実態がヤバすぎる…



“自由と平等の国”アメリカでかつて行われていた闇の取引、”奴隷貿易”の実態が恐ろし過ぎた…

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自由と平等の民主主義国家・アメリカ。この国では、1640年代から1865年にかけて、多くのアフリカ人が奴隷として扱われていました。奴隷達は、劣悪な労働環境の中で強制的に働かされたり、人身売買の”商品”として売買されるなど、その扱いはもはや家畜と言っても過言ではないものでした。
 
しかし、1865年の憲法改正から現代に至るまで、アメリカでは、人種差別を撲滅するための様々な取り組みが行われてきました。2009年には、アフリカ系アメリカ人のバラク・オバマ氏が建国以来初の”黒人大統領”に選ばれるなど、かつて”奴隷”として扱われていた黒人に対する差別は減少傾向にあります。今回は、そんな歴史の中で確かに存在していた”奴隷制度”の実態を記した資料の数々をご紹介します。
 
1.

 
アフリカ大陸からやってきた黒人奴隷を運ぶ奴隷船。奴隷達は男女に分けられ、2人1組で手枷と足枷をかけられていました。
 
船は重さ100t~200t程度の小さな帆船が使用され、奴隷達は狭いスペースで体を寄せ合いながら荷物のように運ばれていきました。中には、全長約30mほどの船に400人以上の奴隷が載せられたという記録も残っています。
 
航海には3ヶ月~9ヶ月ほどの期間を要し、奴隷達にはまともな食事も与えられないため、奴隷の約三割は航海中に亡くなっていきました。中には、例え無事に航海を終えたとしても、行きつく先が奴隷市場なのでは仕方がないと、海に身を投げる者も少なくなかったそう。また、体が衰弱して売り物にならないと判断された奴隷は、監視員によって海へと投げ込まれ、サメのエサになっていました。船から定期的に奴隷がが海へと投げ込まれていたため、船の周りには常にサメが泳いでいたといいます。
 
しかし、命懸けなのは監視役の船員も同じでした。船上では、監視役に対して奴隷の人数の方が圧倒的に多かったため、奴隷同士が結託して反乱を起こすというのは珍しくなかったのです。
 
2.

 
奴隷の”積み込み方”を記した資料。より多くの奴隷を積み込みために、約180cmほどの幅の棚が何段にも重なって設けられており、奴隷1人に与えられるスペースは寝返りすらうてない狭さで、まだ棺桶の中の方が快適だと言われていたそう。
 
3.

 
“奴隷特売”1855年1月10日
・20~26歳の健康な男3人
・女・42歳・サリー 料理が得意
・女・23歳・リーズ 生後6カ月の子供が一緒
・男・52歳
・12~20歳の優良な男17人
 
そうして運ばれた奴隷達は、老若男女を問わず売りに出されました。家族が別々の場所へと引き取られることは珍しくなく、奴隷の多くは家族と離れ離れになってしまっていたそう。
 
4.

 
奴隷の多くは農園などに引き取られ、劣悪な生活環境の中、厳しい労働を強いられていました。
 
5.

 
6. 奴隷が雇い主の元から逃走した際には、奴隷に懸賞金がかけられることも珍しくありませんでした。

 
17歳の少女エミリー・懸賞金100ドル
 
7.

 
黒人奴隷5人・懸賞金200ドル
 
8.

 
1863年1月1日、奴隷解放宣言の発布
 
via:viralnovalipstickalley

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【画像】アメリカの黒歴史 “奴隷船” の実態がヤバすぎる… への1件のフィードバック

  1. watch@名無しさん 2017年6月7日4:38 AM

    白豚と言われる所以です。

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